誰からも必要とされなかった

初めて人を救ったのは川だった。 ざばざばと流れる茶色い水に人がのまれていた。黄色の袋がちらちら浮き沈みしていた。 助けてから気づいたことだったが、それは人間が来ている服の色だった。 砂が混じった水をたっぷり吸った服は重く、流れに揉まれ意識のない人間の手足はぶらぶらと揺れて持ちづらかった。 僕は人間ではなかったので、川から離れた雨に当たらない木の根本まで難なく運ぶと、あとは別の人間がやってきてすぐに気がつくようにした。 川から離れたあともやることはたくさんあった。 枯れた井戸に水が沸くようにしたり、毒虫の住む林から人間を遠ざけたり、死の淵でゼイゼイと息を吐く人間の苦しみを和らげたり。 きっと人間たちは自分を助ける男性や女性、忠告する子供、注意を引く犬、つきまとう虫、ふしぎな風、聞いたことのない音に出会ったことがあるはずだ。 僕らは天使として姿を現すことができないので、必ず地上に生きるものの姿に形を変えた。人間を助けるためならどんな姿にもなった。
あるとき僕はてんとう虫から天使の姿に戻った。久しぶりの天使の体だったが、どんな姿になっても意志通りに満足に動いた。 そういうものだからだ。曇り空だったが、地上の世界の天候は僕に影響を与えない。 日ざしを浴びて輝いているように真っ白な羽を羽ばたかせ、僕は木々の上を飛んでいた。 見えない糸を結ばれるように、助けるべき人間が近くにいるのはすぐに分かる。 その糸をたどると、しゃがんでいる女の子がいた。女の子はそのままの体勢でちょっとずつ歩いていた。 もう少しで斜面に出て、転がり落ちるところだった。 獲物である蝶の羽を巣に引っ張っていく虫の様子が面白いようで、女の子は全く気づいていなかった。 いままでそうしてきたように、僕は犬に姿を変えて、女の子の注意を引こうとした。 人間は自分より小さくてふわふわした生き物が好きで、子供はとくにその傾向がある、と思っていた。 だから、小さく吠えた僕を見て、女の子が悲鳴をあげて逃げ出すなんて想像もできなかった。 転げ落ちていく女の子を見て、咄嗟に熊になり、女の子を追いかけた。 どこかにぶつかる前に女の子を抱え上げると、もとにいた場所よりも安全な場所に寝かせた。 虫か風か音か、どれかしらの姿をとって親を呼ばなければならないと思った。 女の子は気を失っているだけだったが、腕には擦り傷がたくさんついていた。 早く治るようにしてやったあとで、僕は手足が震えるのを感じた。 人間を助けなければいけない僕が、人間を傷つけてしまうなんて。 神は必ず僕を罰するだろう。当然だ。罰せられるべきだ。 女の子を見つけた親の姿を見届けてから、僕はそのときを待った。 羽を裂かれるのだろうか。雷に打たれるのだろうか。 いつ打たれてもいいように、人間の住まない荒れた土地でそのときを待った。 羽を畳んだままにして。膝を抱えたまま日が沈み、雨が降り、日が沈み、星の瞬きを背にした。 それから何度も日は沈んだ。僕は雷に打たれなければ、羽もそのままだった。 一枚も変わらずにそこにあった。助けるべきたくさんの糸に繋がれたままだった。 一本の糸を誤って切ってしまったのに。こんなにもたくさんの糸をたわんだままぶら下げているのに。
僕のしていたことは、僕のするべきことは、これらの糸を永遠にかき回して、一本ずつほぐしていくことなのかもしれない。 でも、誰がそれを望んでいるのだろう? 神は僕を罰さなかった。罰するに値しない存在だったのかもしれない。 底の割れた瓶に水を入れ続けるようなまねは、もうできなかった。荒れた土地にもやがて人間が住み始め、救いを求める声が響いた。 それでも僕は、あれからずっと動けないままでいる。

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